2010年(平成22年)12月22日(水)
午前7時、紋別の道の駅を出発。今日の天気はくもりのようで、空は昨日にもまして暗いままだ。行程を考えるが、さすがにこのままオホーツク海沿いを、最北の宗谷岬まで走ってもつまらないので、一旦内陸の名寄(なよろ)方面に西進し、そこから改めて北上することにする。よって今日は瀬戸牛(せとうし)峠(標高210m)と、天北(てんぽく)峠(標高300m)を通ることになる。天北峠と名の付く峠はここ以外にも、音威子府(おといねっぷ)の北にもあり、そちらはきっと明日通ることになるだろう。
瀬戸牛峠へ向かう道はほとんど交通量もなく、ただ牧場の牛と馬だけが、白い息を吐いてこちらを見ている。難なく頂上にたどり着き、西興部(にしおこっぺ)の町を見下ろす。西興部の家々は壁がオレンジ色に塗られていて、ヨーロッパの町並みを思わせるような美しい風景だった。
紋別から名寄への道も、昨日と同じく廃線跡と共に進む道であった。多くの集落で、往時そのままに駅舎が残され、天北峠では、線路のあった痕跡もはっきりとわかった。ただその跡地に生える木々は、元から線路ぎわに生えていただろう木々と変わらぬ高さまで伸びていて、廃線から長い年月が過ぎたことを教えてくれた。
名寄に着いた頃には、日は傾いていた。女満別以来に、現在も鉄道の通っている街に着いたので、ここで寂しさに耐えきれなくなって、輪行して帰ろうと思えば帰れるのだが、そんな気は全く起きなかった。むしろ改めて気合を入れなおして、宗谷本線と共に最北の地を目指す。
今日の目的地は、美深(びふか)の道の駅だが、町の中心にある美深駅からは少し北に離れている。そこに夕食があるかどうかはわからなかったので、駅前で早めに食べる。店を出たのは午後5時で、外はもう真っ暗だった。
町を外れると、街灯が無くなった。ただ交通量はそれなりにあり、前後からライトで照らされたおかげで、しばらく路面状況は把握できた。だが車が途絶えた瞬間、自転車はたった1cmの氷の段差に引っかかって転んでしまった。
急いで自転車を歩道に引きずり出して、途方に暮れる。道の駅までまだ3kmはあったが、除雪されていない歩道を押して進むほかはなかった。午後6時半、ようやく道の駅に到着した。
道の駅では、有線で宇多田ヒカルのCan’t Wait ‘Til Christmasがひっきりなしに流れていた。